風景 アジア編2 東南アジア |
中国ーラオス国境 (ラオス側) 中国の国境事務所に比べるとお粗末な掘っ立て小屋みたいだ。国力の違いがまざまざ。 首都ルアンパパンへ行く途中。 |
|
ラオス ルアンパバン 旧王都全体が世界遺産 旧王宮 |
|
ルアンパバン 道端のごみカゴ。 町全体がきれいに掃き清められている。 |
|
ラオス中部 バンビエン 中国の桂林のような景勝地。 |
|
バンビエン |
|
バンビエン | |
バンビエン 欧米観光客の好きな浮き輪の川下り。 |
|
バンビエン ハンモックに揺られながら冷たいビールなどを飲み, 日がなのんびり。 外国人旅行者の休息の場所である。 |
|
ラオスの首都 ビエンチャン さすが他の都市とは違って賑やか、でも10階建て以上のビルは見なかった。 メコン川沿いのオープン食堂。 |
|
ビエンチャン メコンの夕暮れ |
|
ラオス ドン・コーン島 ラオス南部のメコン川に浮かぶ島。 フランス軍占領時代の橋の残骸。他にもいまだ占領時代の遺物が多く残っている。 |
|
ドン・コーン島(メコン川) | |
ドン・コーン島 | |
ドン・コン島(コーンとは別) 大事な働き手である水牛を洗って上げている農夫の親子。 |
|
ドン・コン島 中学校 ここは小学校中学校とも、午前と午後の入れ替え2部制。生徒の数に比べて教室と先生が少ないのか? |
|
ラオス メコン川の渡し | |
ラオス チャンパサック アンコール朝時代の遺跡ワット・プーへの基地の村。涼しい夕方になると道路端にごくごく小さな市が立つ。 |
|
ワット・プー(世界遺産) 同じアンコール遺跡でもカンボジアのそれとは規模も保存状態も大違い。何でこれが世界遺産という感じ。きっとラオスでは他になかったのではないか。 |
|
ワーット・プー | |
ワット・プー | |
カンボジア ベンメリエ遺跡 アンコールワットに比べ保存修復がまだまだである。天空の城ラピュタのような雰囲気が・・・ |
|
ベンメリエ | |
カンボジア シェムリアップ郊外の トロペ村 |
|
トロペ村 ここに、日本人の若者が小学校建設(資金から建設まで)をやっている。1日だけお手伝い。 |
|
カンボジア シアヌークビル ここは保養地として有名。きれいな海岸や島巡りが楽しい。 |
|
カンボジア プノンペン 2000年に行った時に比べ道路や建物は整備され少しだが復興は進んでいる。前は銃声がまだ聞こえた時があり、夜は暗かった。 |
|
ミャンマー ヤンゴン バスも車も日本の中古が一杯。ただし右側通行。 |
|
ヤンゴン シェッタゴン・パゴダ 熱心な仏教徒が多い、そのせいか人々は今まで見てきたアジアで一番穏やか。 でも軍事政権なので街中のあちらこちらに銃を持った兵士が。 |
|
ミャンマー チャッティーヨ ヤンゴンからバスやトラックに乗り継いで日帰りのできる聖地です。 |
|
チャッティーヨ 今にも落ちそうですねー、地震なんてないんでしょうか? |
|
チャッティーヨ 乗りあいトラック、ぎゅうぎゅう詰めにして、いろんな町へ人を運びます。安くて便利。 |
|
ミャンマー パガン遺跡 赤茶けた大地に3000以上の仏寺が散らばっているという。 |
|
パガン遺跡 夕日を見に、観光客が寺院の屋上に集まってくる。 |
|
パガン遺跡 夕暮れ、牛追いの親子が帰っていく。 |
|
パガン 観光客を載せて遺跡を巡るロバの車。 |
|
ミャンマー マンダレー 小坊主たちはどこへ行くんでしょう? |
|
マンダレーから 北部のミッティーナヘ 中国からお下がり列車の夜はけっこう寒い(隙間だらけ) |
|
ミャンマー北部の最大都市 ミッチーナ(カレン族の町) 少数民族問題を抱えている中国国境に近い町。見た目はごく普通の田舎の町という感じ。 軍事政権主催の行事が行われるらしかった。 |
|
ミッチーナ郊外 | |
ミッチーナ郊外 | |
ミッチーナ 日本で数年間暮らしたことがあるというミャンマー人の経営する食堂。こんな僻地でカツ丼が食べられて大感激。 ここで日本人人類学者と出会った、ミャンマーの少数民族の言葉を研究しているという。。 |
|
ミッチーナからイラワジ川を下ってシンボーへ数時間揺られます。なかなか快適。 | |
船頭さん | |
ところどころ川幅の狭いところは急流になっていて、ちょっとスリルがある。 | |
砂金捕りの一家 青や黄色のチューブは川底から泥を吸い上げて、ふるいにかけ砂金を取り出すためのもの。 |
|
ミャンマー シンボー村 メーンストリート たった一軒の宿があり そこに泊まっていると、爺さんが英語で話しかけてきた。村の電気雑貨屋さんとの事、ラジオで英語を勉強したと言っていた。俺より上手い。 |
|
ミャンマー中東部 ボモー シンボーからまた一日かけて川くだりをしてついた町。少数民族かちん族の町で、けっこう大きく立派なホテルや飛行場もあった。ただこのあたりは外国人制限地域で街の外へは出られない。 ここのたった一軒のインターネット屋(すごく遅い)で埼玉の大学へ留学していたという若い女性に日本語で話しかけられ家に招待された。奇遇? |
|
ボモーの寺院にあった変な像。お釈迦様の後を就いて回るお弟子さんを表わしいるらしい。他にもここの町の寺院には変な像が一杯。 | |
マンダレーへ戻るために再びイラワジ川くだりをする羽目になってしまった。 というのはボモーからヤンゴンへ戻る飛行機が飛ばなくなってしまったからだ(理由不明)。ビザが切れるというのに一週間に一度のフライトしかないというのに・・・(泣き) 中流域だがかなり川幅が広くなった。 この後列車とバスを乗り継いでヤンゴンに戻り、ビザ切れ直前に出国できた。 |